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2020年6月 7日 (日)

キッチン南海が閉店します

つい最近知ったんですが、神保町にある「キッチン南海」が閉店することになったそうです。
昭和41年から営業を続けて来たカレー屋さんが、今月26日をもって閉店だそうで。

私、ココログは何度も閉鎖(削除)してしまったので、過去記事には残ってませんが、この「キッチン南海」については熱い思いがあり、その都度熱く語って来ました。

過去記事を読んだことがある方は、またか・・・と思ってスルーして下さい。

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私とキッチン南海の出会いは、もう40年も前になります。
私は昔、松本に住んでいました。4年間。
4年間・・・、つまり松本で大学生活を過ごしたのですね。

信州大学。
東京の大学を選ばずに、山に登りたい一心でこの大学を選ぶ学生も居ると言う。

私はそんな気持ちはサラサラなく。
貧乏家庭だった私は、高校生まで自分の部屋と呼べるものも無く、とにかく一人暮らしがしたかった。
でも東京の大学では、自宅からの通学は必至。(私の兄は朝6時の電車で通っていた)
だから家を出るには、学費が安い地方国立大学しか無かったのです。

正直に言えば、どこでも良かったのかな。
高校の友人が信大を受験すると言うので、「じゃあ俺も」と実にいい加減な理由で願書を出し、そいつと一緒に受験に行ったのですよ。

当然受験も宿泊が必要で、浅間温泉に泊り、受験後はもう来ないかもしれない(不合格)からと松本城を見学し、松本は良い街だなあと。

Matsumoto

 

結果は合格でしたが、念願の一人暮らしは出来ず。
経済的理由から寮生活(2人部屋)を送る事に。
国立大学の寮費って、とんでもなく安いです。食費が1日360円。 ← 3食でですよ
もちろん、朝は給食パン、昼はサバ缶、夜はカレーみたいなメニューですが。

学費だって年間18万円。当時は理系の私大だと入学金・寄付金込みで初年度100万円なんて所もあったから親孝行なものです。
しかも授業料半額免除で9万円でしたから。

2000円で買った中古自転車をギーコギーコと漕ぎ、大学生活スタートでした。
最初は真面目に大学に通い、体育会(柔道部)で鍛錬する、ちゃんとした苦学生でした。

 

が、
やっぱり家を出て、自由な身になり、徐々にバイト&パチンコ生活に。
パチンコで勝つと、そのお金でパチンコ屋の正面にあった「キッチン南海」でカツカレーを食べるのが習慣に。

何に勝ちたくてカツを食べるのかと言えば、次回もパチンコに勝てますように、と言う何とも俗物なことで。
信州に居ながら、山にも登らなきゃあスキーもやらず。
趣味と言えばオートバイだったかなあ。
それが今になって山に登りたいだのと。あの頃北アに登っとけば、今だと行かれない山にも登れてた事でしょうに。

 

パチンコばかりの4年間でしたが、それでも無事4年で卒業し、ちゃんと教員試験も合格して地元・神奈川で教員に。
公務員ですから今なら勝ち組だったでしょうね。
当時はバブル期で、大学の同期が「ボーナス200万出たよ」なんて言うのを、羨ましく思う立場。
荒れた学校に着任して、大変な日々。それに比べれば今は全然楽か。

心が挫けると松本に出掛けては、楽しかったあの頃を思い出し。
松本城を見て「ヨシッ頑張るぞ」と。そして移転した現在の場所の「キッチン南海」でカツカレーを食べて「ヨシッ頑張るぞ」と。

ところが何年も経ったある年、思い出のカツカレーは味が変わりました。
私の大好きだったサラサラのスパイシーなルーは、小麦粉混じりのドロドロなルーに。

食べてみれば、味は確かに当時の味わいがあります。
けれど、これは自分にとっては思い出の味であり、いつの間にか美化された成功の味(パチンコ生活の思い出ではなくなってます)なのです。
その輝いていた過去の記憶が、段々と薄れて行くような。

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いくら思い出の味でも、そうそう松本まで足を運べるものでもありません。
そうしたらナント、東京にも「キッチン南海」があるじゃないですか。それもあちこちに。
いくつかのお店を訪れては、「うーん、ここのカレーは松本のに近いかなあ」「あっ、これは違いますね」なんて探し回る事に。
そして辿り着いたのが、神保町の「キッチン南海」

後から知ったのですが、元々この神保町のお店が本店で、他にある店は全て暖簾分け(チェーン店とは違う?)のような。
各店舗、全く同じではなく、各店によって若干メニューなんかも異なります。

やっぱりこのサラサラルーだよな、南海は。
神保町にはカレーの名店が数多くあります。キッチン南海は名店中の名店と言う訳ではありませんが、行列が出来る有名店です。
そして何より私にとっては懐かしの味、思い出の味、成功の味なのです。

いつしか松本に行く事も無くなり、好きな本屋巡りも兼ねて神保町へ行く事が増えました。
このカツカレーを食べると、青春時代を思い出し、また頑張れるのですね。

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と、そんな大切なキッチン南海が閉店ですかぁ。💦

でもよくよくお知らせを読むと、同じ神保町に新しいお店を暖簾分けするそうで。
それも現在の店長がそこでお店をやるんだそうで、同じ味を出す事を保証しますとのこと。ε-(´∀`*)ホッ

それってさあ、ただの移転じゃねえの?

まあ無くならなくて良かったです。また神保町に通う日が来る事でしょう。楽しみです。(^^)v

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コメント

旧制松高って有名ですよね。
北杜夫の小説に青春時代を松本で過ごしたことが書かれてた。
昔ながらのカレー屋さんなんですね。
カツカレー、今だと小ライスでいいかも。

こんばんは!
まぁ、なんて親孝行なんでしょう。
私とは正反対ですよ。
前にも書きましたが、私は高校受験に失敗して、行くことは無いだろうと高をくくっていた私立の馬鹿校に行かざるを得なくなりました。
学費は馬鹿高く、オマケにバスとチンチン電車を乗り継いでの通学でしたから、交通費も馬鹿になりません。
高卒の資格を取るだけの学校、クラスには九九も出来ない奴がけっこういましたよ。
それで、親には迷惑を掛けたなぁって思うので、今、罪滅ぼし?に親父と同居してやっています。

ハルさんは、教員だったのですか・・・勿体ないなぁ。

ばんびさん、こんばんは。

北杜夫ですか。ばんびさん、ホント何でもご存知で驚きます。
私も2年生から卒業まで、北杜夫が過ごした寮で生活しました。
北杜夫が書き残した「憂行」の2文字。
当時はそれを見学しに観光客が訪れる事もあり、中で学生が生活しているのでビックリしてました。
木造のオンボロ寮だったので、「嘘、誰か居るよ」って。

松本の街から見えるアルプスが好きで、特に冬の真っ白な山の風景が好きでしたね。
松本が舞台のドラマなんかかじりついて見てましたよ。
「白線流し」とか「神様のカルテ」とか。
若い頃は何をやっても楽しかったなあ。そんな青春時代の懐かしい味です「キッチン南海」は。(^^)v

FUJIKAZEさん、こんばんは。

九九が出来ない高校生ですか?
私、元数学教員なんですが、最初の着任校には居ましたよ、九九が出来ない子も。
中学で習ったはずの解の公式が出て来て、4×2×4=?が分からない。
さて、九九ってどうやって教えたら良いのか。
自分達は小学校でとにかく丸暗記させられた記憶しかないし。
「4×2は?」「8です」 ← よしよし
「8×4は?」「分かりません」「小学校で暗記しなかった?」「出来ませんでした。えーと、、36ですか?」
「じゃあ8ずつ指を折って、4回やってみようか」「1,2,3,・・・8,9,10,11,・・・,何回数えたか分かりません」
「落ち着いてやれば出来るから。もう1回やってみようよ」「無理です。36じゃないんですか?」

15分後、
「九九って覚えなかった?にさんがろく、にしがはち」「やったのは覚えてるけど、中身は覚えてないです」
「4×8なんてさあ、しわいくつ?って覚えてない?」「しわさんじゅうにです」
「ああ?出来てるじゃん。32だよ、正解」「先生、最初から4×8って聞いて下さいよ。8×4とか言うから」
「ふーん、違うんだ?」「違いますよ。5の段ぐらいまでは何とか覚えましたよ。7の段から上は怪しいかな」
なるほど。そんなもんか。周囲からは「お前アホ過ぎるだろ」「いや正直俺もそんなレベル」などなど。
毎日事件ばかりの高校でしたけど、楽しかったなあ。自分も若かったから。(笑)

この記事をよんで吃驚です 教員だったんですか それがなぜ今の様に?本当に勿体ないと思いましたよ。でも それも人生の一コマなんですよね。これからも何が有るか分かりません 自分の人生 大事にしていってください。

ハル 様

「キッチン南海が閉店します」
え~Σ(゚Д゚) コロナの影響で閉店なのかなあ…あら、神保町。松本ではなかったのね。神保町が本店。え~Σ(゚Д゚)

あがたの森文化会館の閉館の曲は「春寂寥」です。
北杜夫氏が歌っているのを、むかーし昔ラジオで聞いたことがあります。しみじみとした歌声(祝詞か、お経か、うなり声みたいな)でした。ハルさんも、歌っていたのでしょうね。

松本に、来てくださいね。


ハッピーのパパさん、こんばんは。

教員は楽しかったですよ。やり甲斐もあったし。
転勤で県立高をいくつか転勤しました。学校によって全然違います。
ある人が挨拶で話してました。
「前の学校は青春ドラマの毎日でしたが、ここは刑事ドラマ、毎日事件で驚いてます」

部活動も柔道&ラグビーの顧問をやり、夏は菅平で走ったり。
楽しかったなあ。
今のパチンコの話しかしない職場とは大違い。まあ仕方無いですね。(;^_^A

あがたの森、、懐かしいですね。
あそこで3年間暮らしました。(1年次は別の寮)
寮は2人部屋で、先輩が奥、下級生は出入り口側に寝ます。
私の友人が「お前奥に寝て良いよ」と言われ、「優しい先輩で良かったなあ」って話してたら、その部屋ガラスが1枚割れて直していませんでした。
朝起きたら、窓の外の桜の樹から花びらが散り、寝ている友人の上に積もっていました。
「なるほどこういうことか。じゃなきゃ新入りに奥を使わせるなんてあり得んわなあ」と。
「まあ桜の花びらが身体に積もるなんて、何とも味があって良いよ。良い経験したよ」
(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪

春寂寥ももちろん歌いましたよ。
また松本の街からアルプスを眺めたいですね。常念岳だったかな?

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